フランクロイドライト 帝国ホテルライト館 大谷石とテラコッタタイルによる重厚な外観
明治村に保存されている帝国ホテルライト館エントランスホールを久しぶりに訪れました。
フランクロイドライトが設計し、日本に残した建築で最も日本の建築界に影響を与えた帝国ホテル。そのエントランス部分が保存されています。
帝国ホテルライト館は、戦前に竣工。その竣工式の時に関東大震災に見舞われたわけですから、これはもういろいろな運命を背負う建物であったことは間違いありません。
地震の影響や戦時中の空爆の影響を受けながら、ホテル側の努力により営業を続けてきましたが、漏水や大谷石の剥落等、宿泊客の安全性を担保できなくなり
営業側の利便性、経済面の理由も重なり解体されることになりました。
世界からの保存運動が起こり、国際問題にまで発展し当時の佐藤内閣総理大臣が、一部保存と発表することで決着。そういうわけで、明治村でその帝国ホテルライト館エントランス部分を今でも体感できるわけです。
残されているのはエントランスホール廻りですが、これがもう少し宴会場まで残っていればよりその空間の素晴らしさを体感できたのになーと思うとちょっと残念。しかし、帝国ホテルライト館の中でこのエントランス廻りが最もライトの設計手腕が発揮された部分と言え、流れるような空間を体感できます。
当時フランクロイドライトは、アメリカでのスキャンダルの影響で仕事が無く、名声も落ちていた時期でもあり、日本からの設計オファーは、この上ないチャンスだったはずです。
アメリカで行われた万博で日本館を見たライトは日本建築に魅了されていたと言われます。日本を代表するホテルですからそのデザインは日本的要素が含まれるとおもいきや、そのデザインは、アメリカの古代文明マヤの遺跡を彷彿させるものでした。
日本の職人さんの器用さ、勤勉さを理解し、大谷石やテラコッタタイルには想像できない細かいデザインを考え、製作要求しました。またその要求に見事に応えたんですね。
今に残るその装飾を見ても、手間が途方もなくかかり、その技術も半端ないことが解ります。
一方設計契約時から工事費用は、うなぎのぼりに増え、工期もどんどん伸びていきます。
ホテル側との争いも最後の方は相当なもので、結局ライトは施主サイドと決裂し、竣工前にアメリカに帰国するのですが、残った遠藤新はじめライトの弟子達の努力もあり、何とか完成。
これが、明治村ライト館のエントランスアプローチ部分。
エントランスの前の池は、非常に重要なデザイン要素で、欠かすことはできませんが、当時は、ホテル側から増え続ける工事費用の削減を目的に無くすようにと要望が出ていたそうです。
この池はやはりないと。
大谷石とテラコッタタイルによる重厚な外観。この黄色いタイルも当時の日本では作られておらず、この色を出すために、膨大な努力と試作がなされました。
庇は、抜けていて、空が見えます。すごい装飾センス。
側面の外観
これは、エントランスの庇の前に設けられた大谷石で作られた壺で、池との対比がなされています。
いよいよ玄関に。
玄関扉は、低くさりげなく配置。ライトの建築の多くは玄関はさりげなく、内部に進むほどに大きな感動を呼ぶ空間が準備されていますが、この帝国ホテルもそのような感じで玄関は控えめでヒューマンスケール。家でゲストをお迎えするよな親しみの湧く絶妙なスケール感。
こちらは、池の方向への中からの見返り。正面の大谷石の壺がアイストップとして効果的であることがわかります。丸い階段を2段上がるとそこがホワイェ
ホワイェ。低く感じる天井があり、その向こう側にホールが見えます。
円形の階段を登るにつれて、視界が開けてきます。左手にはフロント
天井が低く抑えてあるので、その先の大空間はここからは感じることができません。
さらに進むことで、視界が上に開き、大空間であることが認識できます。ほとんどのゲストがここで感動!
天井の高さ、そして長さを緻密に設計し、感動を呼ぶ空間に仕上げるライトのデザインセンスに驚かされます。
正面のカーテンの先は、大食堂でした。ズバッと奥まで見通せ、パースペクティブに長さも認識できたのですね。先に先に進むほど、その魅力が増す建築です。
光が天井に差し込む息をのむホール