白井晟一の原爆堂展  原爆と対峙し、未来に希望と平和の決意をもたらす建築

今月30日まで青山Gallery5610で開催中の白井晟一の「原爆堂」展を見てきました。 「原爆堂」は1954年からの計画で、広島・長崎に投下された原爆、第五福竜丸が被ばくしたアメリカの核実験から原爆や核の問題を問うた唯一の建築提案。 私の父も長崎の原爆に会った1人。中学での出来事で、校庭にて生徒全員で防空壕を掘っていた時、父が防空壕の中で掘削中に被災。 地上にいた学徒友人はすべて亡くなったそうです。私が子供の時、父から聞いたその悲惨な体験は、想像を絶するものでした。 しかしながら、そうした体験談も時と共に忘れ、原爆や、核の恐怖、東日本の原子力発電所事故すら遠い昔のようになってしまう。 自分ごとではなく、他人に押し付けるという感覚になる。まずい事だと反省です。 福島原発には友人が詰めて今も作業にあたっており、私も2回ほど、訪ねました。少しでも自分が行動し、悲惨なその時を忘れず、次につなげる。 建築においても何ができるか常に想い出し、考える。そうした行為そのものがとても大切だと思います。 原爆堂は建築家白井晟一が、その原爆と建築で対峙した作品。 正面から原爆の悲惨さを捉え、考えに考え、たどりつた造形は、未来に対しての共存という期待をもたせたるものでした。 原爆堂について白井晟一は、 「私ははじめ不毛の曠野にたつ愴然たる堂のイメージを逐っていた。残虐な記憶、荒蕪な廃墟の聯想(レンソウ)からであろう、だが構想を重ねていくうちに 畢竟は説話的なこのような考えをでて自分に与えられた構想力の、アプリオリな可能性だけをおいつめていくよりないと思うようになった。概念や典型 の偏執から自由になることはそのころの自分にとって難しい、大きな作業であったが、悲劇のメモリイを定着する譬喩(ヒユ)としてではなく、永続的な共存期待 の象徴をのぞむには、貧しくともまず、かつて人々の眼前に表れたことのない造形のピュリティーがなにより大切だと考えたからにちがいない。」と述べています。   建物は2つの棟からなります。アプローチからロッジアに入ると、目の前に水に浮く建物が迎えます。   階段で一度下り、黒い石の世界が広がるホールから一点の光が差し込む通路へと導かれ、シリンダーの階段へ。 中心にある世界と現実をつなぐ柱を見ながら丸い階段を登って、四角い展示室へと導かれます。 バルコニーからは、水盤の向こうに森が拡がり、大きな空へと視線は伸びていきます。 平和と静寂を感じるバルコニー。 もういちど平和について考える良い機会を設けてくれました。