建築家浦辺鎮太郎の世界(1) メモが書き込まれたノート
今月中まで横浜のレンガ倉庫で開催されていた「建築家浦辺鎮太郎の仕事」を見て感じたことなどを、ざっくり載せてみたいと思います。
横浜ではM&M展(村野藤吾&槇文彦展)が行われていましたが、同時に横浜レンガ倉庫では倉敷を中心に活躍した建築家浦辺鎮太郎の展覧会が行われていました。
この展覧会であh、建築家浦辺さんが残した多くの秀作を時代を追って模型と図面で説明する大規模な建築展覧会で、その内容は極めて濃い内容でした。
浦辺さんと言えば、私がまだ学生時代に、倉敷のアイビースクエアー(1974年)や倉敷市庁舎(1980年)を介して知っている建築家でしたが、
そのほかの作品はあまり知らず、今回の展示会で、建築家としての歴史、作品を振り返り、その偉大さを確認しました。
久しぶりの横浜赤レンガ倉庫
歴史を感じさせてくれる建築は、やはり心が動きます。
何か、見ているだけで落ち着くというか。
展覧会は1号館で行われました。
エントランスへの階段
浦辺さんの建築家としての流れの説明
京都帝国大学工学部建築学科での卒業設計「トーキースタデオ」のパース。デュドック作風に似ている作品
残された浦辺さんのメモ
ぎっしり書き込まれています。
こちらは戦後、浦辺が倉敷レーヨンの営繕部部長の際の仕事で、倉敷考古館増築の模型
なまこ壁の右側本館につながるコンクリートシェル構造に屋根を乗せた増築棟(左)
この模型に惹かれたのは、本館と増築棟部分のジョイント部分のデザインです。
古いものと新しいものを継ぐところに最大限のデザイン配慮がなされています。
正面は、外壁素材と壁、屋根高さのつながり。裏面は、階段を介しての陰影ある堀の深いデザイン。
2つの壁の塊の間に奥深さを挿入。実物では、台地と壁面のデザインも秀作。