ミース・ファン・デル・ローエ ファーンズワース邸(1)

シカゴ中心部から車で1時間近く高速で走ったイリノイ州プラノのフォックス川の川沿いに白いガラスと鉄骨でできた建物があります。近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエが設計した住宅。それがファンズ・ワース女史の週末住宅です。完成は1951年。ミースはナチスのドイツからアメリカに亡命した後、イリノイ工科大学で教鞭を執っていた際女医のファンズ・ワースと出会い、週末住宅を頼まれます。極めて多忙な女史は、週末に誰にも邪魔をされない自然に囲まれた静かなプライベート別荘を希望し、ミースは川の近くにそれを設計しました。しかしながらミースは設計に4年という時間を費やし、女史との間で不協和音が生まれます。しかも契約した工事費に対し、実際の施工費がまったく追いつかず、朝鮮戦争による鋼材単価の上昇も相まって倍近くに膨れ上がります。結局女史とミースは裁判で争うことになり、2人の関係は完全に途切れたものになってしまったそうです。 そのような事情はさておき、この建物は、一切の装飾を省き、構造とデザイン・設備が一体化し、その時代の最先端の材料である鉄骨とガラスを用いて柱・床・屋根の機能を単純明快に表現するというミースの建築に対する考え方が最も具現化されたものであります。 川の反対側から見たファンズ・ワース邸。川と平行に白い鉄骨の柱と水平方向に伸びるスラブが地上から浮き上がって見えます。 何か、森の中に宝石箱をそっと置いたような感じでした。 初冬で葉っぱが散って良く見えますが、春から秋にかけては樹木が生い茂り、建物は見えないそうです。 長い森の中を歩いていくと、林の中に白い建物が見えてきます。 柱が梁、スラブの外に出ていて、力強さを感じると共に、柱・床・屋根を明快に分節してそれらの存在をかんじさせてくれます。 まず数段のステップをあがり第1ステージにそしてさらに上ることで、室内の床と同じ高さの第2ステージに導かれます。 床が上がっているのは川の水位が上がり、床が浸水しないようにする為でした。この建物ができた当時は廻りには何もなく、ただ川と森が拡がる大自然の中でした。 今は、建物のすぐ近くに州の道路が通り、その道路から建物が見られてしまいます。女史は、その道路の計画が持ち上がった際、反対すると同時に自分が亡くなった後には建物と広大な敷地を寄付することまで持ち出し折衝したのですが、結局道路は作られ、そのためプライバシーが保たれなくなり、女史はこの建物を手放します。