湯島聖堂 歴史ある学問の史跡
御茶ノ水駅からすぐ近くにある史跡湯島聖堂
かつて徳川綱吉が上野忍が岡にあった孔子廟をここに移し規模を拡大、官学の府としたのが始まりだそうです。
その後ここに「昌平坂学問所」を開設。
関東大震災で焼失するも伊藤忠太の設計で1935年にコンクリート造として再建され今に至ります。
まずは、聖堂内で唯一の木造建築である入徳門(にゅうとくもん)を見ます。
この門は1704年建造で、関東大震災でも焼失を逃れ、今に至ります。
真っすぐな軸線が心地よい
階段の先に見えるのは杏壇門(きょうだんもん)
開口20m、奥行き4.7mもある
この門の先に見えるのが、大成殿(たいせいでん)
杏壇門の側面
中へと入ります
この黒い外壁は、昌平坂学問所の時に黒の漆塗りとされていたものを伝承
間口20m、奥行き14.2m、高さ14.6m 入母屋造りの堂々たる外観
大成とは、孔子廟の正殿の名称だそうです。
屋根のディテール
動物が沢山居ます。