失われる名建築 村野藤吾 日本興業銀行本店

またまた次世代に残すべき名建築が姿を消します。ぼくが思いますに、建築はその中で暮らし、仕事した人たちのいろいろな思いがつまっている宝石なんですよ。ただの物ではなく、魂というか想いが残っているわけ。激動の時代に多くのサラリーマンが汗して働いたこの日本興業ビルにもいい想い、悔しい想いも含めて詰まっています。仕事を離れ、しばらくぶりにこの建物の前を通るとき、記憶は過去に戻り、懐かしい思い出が浮かびます。音楽と同じだと思います。しかもこの建築は村野さんが熟練期の83歳の力作。年代も1974年の高度成長期。外壁のマホガニーレッド大理石の磨かれた石の彫刻のような形態。そしてこの重厚感。ガラス張りの新しい同じような建築がバラバラ立ち並ぶ丸の内の中にあって、こんな建物これからでてきません。若い建築家にとっても、勉強できる生きた教材でした。残したい建物でした。 像の鼻のような独特の形態。そのコーナー部分の下にはかつて水をたたえた池があり、通りを歩く人の束の間の気分転換の場でもありました。 圧倒的存在感のある赤褐色のマホガニーレッドの大理石の壁。この開口部のない壁の後ろは機械室 石とサッシの取り合い部分も見事。石の柱は、真ん中が外に少しだけ出ていて、凸型になっています。力強く上へ上へと伸びていく感じは、ゴシック建築を連想させます。 足元やコーナーの石のディテールなど参考になるところは多い 通りの反対側の隣地側デザインも建築基準法を苦心してクリアーしていますが、複雑ながら見事な納まり。 以前の村野藤吾展での模型写真。裏側の複雑さがわかります。 コルビジェの西洋美術館も良いですが、これら日本の優れた建築家が残した遺産も同等に貴重なものなんです。丸の内からまた一つ名建築が姿を消す寂しさと憤りを感じます。